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サイレンススズカ×武豊×涙 天皇賞の悲劇と教えてくれたこと

サイレンススズカ×武豊×涙 天皇賞の悲劇と教えてくれたこと

サイレンススズカ。

武豊騎手とのコンビで夢と涙を競馬ファンに届けました。

天皇賞秋の季節になるとサイレンススズカを思い出します。

今日はちょっとしっとりと、
昔を思い出しつつ競馬というスポーツについて改めて感じることを書いてみたいと思います。

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サイレンススズカと武豊と涙

サイレンススズカについては長く競馬をやられている方は衝撃と一緒に思い出があるかも知れません。

それは武豊騎手も同じですし涙を流した苦い思い出となっています。

若い競馬ファンのかたの為に、
サイレンススズカのついて簡単にご紹介をすると…

 

1戦1勝で臨んだ弥生賞でスタートゲートをくぐった「困ったさん」が一般的な競馬ファンの記憶のスタートかも知れません。

気性が激しく、抑えては首を上げ有り余るパワーを制御しきれない、下手したらどこかのタイミングで去勢されていた可能性すらある馬でした。

3歳冬香港国際C(G2)で初めて武豊騎手とコンビを組むと、翌年バレンタインカップを逃げて圧勝し「快速馬伝説」が始まります。

 

中山記念(G2)、小倉記念(G3)を連勝して臨んだ金鯱賞(G2)が伝説のひとつです。私自身は「ダビスタ」でした見たことが無いような逃げての大差勝ち。2着に1.8秒も差をつけての圧勝でした。

宝塚記念ではエアグルーヴの先約がありサイレンススズカに騎乗できない武豊騎手に代わり、ベテラン南井騎手が乗り優勝。

そして、充実の4歳秋「伝説」の毎日王冠です。

快速の逃げ馬サイレンススズカに、無敗の3歳外国産馬2頭が挑戦します。

グラスワンダーとエルコンドルパサー。
直線逃げるサイレンススズカを追いかける2頭。しかし影を踏ませない逃走劇。

後にグランプリを3つ勝つグラスワンダーと直後にジャパンカップを勝ち、翌年凱旋門賞2着のエルコンドルパサーをまさに完封したレースでした。

この時、わずか3週間後の悲劇を誰が予想できたでしょうか。

 

サイレンススズカに騎乗した武豊騎手が涙し、私たち競馬ファンも記憶が飛ぶ程の悲劇が起こります。

1998年天皇賞秋。

逃げ馬にとっては絶好の1枠1番を引き、スタートから快調に飛ばすサイレンススズカと武豊。前半1000m57.4秒。オーバーペースと言われてもこの馬にとっては「許容内」と誰もが疑わないレース運び。

しかし…東京競馬場4コーナー手前、欅の向こうで躓くサイレンススズカ。後続との差が一気に詰まる中冷静に外にサイレンススズカを出して行く武豊騎手。

下馬。

サイレンススズカは痛々しく3本脚で耐える…寄り添う武豊。

誰もがレースよりもサイレンススズカが気になる。テレビ実況ではととっさに「沈黙の日曜日」と悲劇を評す言葉。

レース後もざわつきが納まることもなく、テレビ出演者も言葉が詰まる。

大川慶次郎氏もスポーツ紙面上で企画された馬券コーナーで馬連万馬券を的中されるもそんなことはどうでも良い、サイレンススズカが…

誰もが口にしたくない「安楽死」。でも稀代の快速馬がトップスピードで怪我をしてしまった事実。

私が初めて競馬をみて泣いたレースでした。

後に武豊騎手はこの天皇賞秋について言葉を選びながらできれば触れられたくない様子で答えてくれています。

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サイレンススズカ×武豊×涙=はじめての

サイレンススズカの不幸があった当日、
武豊騎手は涙し、そして仲間内でしんみりとお酒を飲むことになりました。

「泥酔したの、あんときが生まれて初めてだったんじゃないかな。夢であって欲しいな、って」

競馬の第一人者、当然サイレンススズカ以外にも残念な結果になった馬もいたと思います。それでも、それであっても…という思いがあふれていますよね。

天皇賞秋の季節になると毎年サイレンススズカの事を思い出します。
武豊騎手も、もちろん私たち競馬ファンも涙した記憶と共に思い出すことでしょう。

トウケイヘイロー、エイシンヒカリといった逃げ馬で武豊騎手が天皇賞秋に挑むと昔置き忘れてきてしまった思い出を、夢をまた見せて欲しくなります。

逃げ馬には厳しいと言われる東京2000mの舞台。
果たして思い出の回収がされる日が来るのでしょうか。

競馬のひとつの楽しみ

さて、サイレンススズカと武豊騎手、そしてみんなの涙について書いて来ましたが、これだけ書いておいて実は…

そう武豊騎手はサイレンススズカでG1を勝っていません。
上記宝塚記念を制した時は先約のエアグルーヴに騎乗していました。

このエアグルーヴについては新しい競馬ファンもご存知だと思います。と言うよりも競馬においてエアグルーヴなしでは全く違う現代の競馬になっていたはずです。

 

エアグルーヴがいなければアドマイヤグルーヴが生まれませんでした。アドマイヤグルーヴが生まれなければドゥラメンテが生まれませんでした。

そう、競馬はブラッドスポーツと言われるように歴史が私たちに感動と興奮を上乗せしてくれます。

脈々と受け継がれていくのです。

だから、だから尚更、稀代の快速馬サイレンススズカの血を残すことが出来なかった。このことが悔しくて仕方ありません。

普段競馬、馬券を買っているとこうした「楽しみ」を忘れがちになってしまいます。

しかし、天皇賞秋の季節になると思い出します。

目の前のレース全て、全頭が無事に完走できることを祈っています。

「ほら、アノ時のアノ馬の子どもだよ!」といった楽しみ方もまた競馬の醍醐味ですよね。

サイレンススズカと武豊騎手。
多くの方が涙した天皇賞。

笑顔でレースが終わり熱狂できることを願い、また競馬を楽しんでいきたいと思います。

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